ライトの落水荘

<ライト建築の金字塔>

ライトのデザインはどうもなじめないと言う人の主たる原因はその濃密過ぎるとも言えるディテールデザインです。そこでそういう人でもすんなり入れるライトの幅広い才能を示す2作品をご紹介し、帝国ホテルでいささか食傷気味のあなたに食後のデザート的な爽快感を感じてください。

まず今回取り上げるのは「落水荘」の愛称で有名な「カウフマン邸」です。 場所はペンシルバニア州ピッツバーグ南東部郊外のベアラン渓流を望む人里離れた山の中です。

まず写真を見てください。

建物南西面を見上げた所 滝になって流れる渓流は「Bear Run」と呼ばれる川

建物南西面を見上げた所 滝になって流れる渓流は「Bear Run」と呼ばれる川

この写真を見て落水荘あるいはカウフマン邸の名前をご存知ない方でも、この建物の写真は見たことはあると言う方もおられるでしょう。それほど有名であり、一度見たら忘れられない記憶に残る建物です。
しかしこの建物をある程度知っている方でも、あるいは写真は見たことはある方でも、この建物が造られた年代を知って見える方は少ないと思います。
答えは1936年完成です。今から70年以上前、実にライト69歳の時です。

この時代の日本はと言うと、
1935年(昭和10年)4月6日 満州国皇帝溥儀来日。
1935年(昭和10年)4月7日 美濃部達吉天皇機関説のため不敬罪で告発される。
1935年(昭和10年)6月10日 梅津・何応欽協定成立(日本軍による華北分離工作の開始)。
1935年(昭和10年)8月12日 永田鉄山軍務局長暗殺事件(相沢事件)
1935年(昭和10年)11月9日 上海で日本人水兵が殺害さる(中山事件)
1935年(昭和10年)      第1回芥川賞 石川達三 『蒼氓』
1936年(昭和11年)2月26日 二・二六事件
となっており、芥川賞の記事を除き松本清張の「昭和史発掘」の主だった章が一同に会した感のある時代です。

建物へのアプローチ

建物へのアプローチ

このようにすでに歴史のかなたにしか見ることの出来ない時代にこの建物は造られているのです。 私は40年以上前にこの建物の写真を始めて見たときも、また今改めてこの写真を見てもそのデザインの新鮮さは驚きを持って見るしか術を知りません。
いささかも古さを感じさず、むしろ輝きは増すばかりのように思われます。

落水荘はライトの最高傑作と言われていますが、ライトのみならず20世紀の最高傑作とも言える建物だと思います。 文化・時代を超えた普遍性を持った名建築としておそらく後世にも語り継がれることでしょう。
この建物は建設当初から世界に衝撃を与えていたようです。その証拠に完成の翌年、雑誌「タイム」の表紙を飾ったことからも判ります。

アプローチ側から南東面を見る

アプローチ側から南東面を見る

旧帝国ホテル完成後わずか13年後に、デザイン手法が全く異なるこのような建築をデザインできるライトの恐るべき才能に感服せざるを得ません。
旧帝国ホテルでライトが縦横無尽に描き尽くしたあの夥しいオーナメントはこの建物では殆ど見ることは出来ません。建物の要素としては装飾のない白い化粧(多分リシン系のこて仕上)のみのコンクリートと石材、そして近代建築の象徴とも言えるスチールとガラスで構成されています。


<見事なスケールバランス>

黄昏時の情景

黄昏時の情景

しかしロビー邸や帝国ホテルで、ライトが最も美しくかつ安定している形として考え実践して来た、自然の樹木をデザイン化したような形態はここでも生かされています。
そして一つ一つのブロックが見事なスケールバランスで構成されています。

冬景色

冬景色

掲載した写真を見てください。どの角度から見てもみごとな美しさを備えています。

コンクリートの白い壁面と、現地の石を利用した石壁とのコントラストが見事です。この石壁のデザインはライトのアトリエであるタリアセンイースト、タリアセンウエストはじめ多くの住宅で使われている様式ですが、現在でも引用され広く使われているデザイン手法です。


<ディティール>

石壁の詳細

石壁の詳細

北側にあるゲストルームへの連絡通路の屋根。古さを感じさせないデザイン感覚

北側にあるゲストルームへの連絡通路の屋根。古さを感じさせないデザイン感覚

リビングルーム

リビングルーム

リビングルーム

リビングルーム

コンクリートのキャンティレバー(片持ち出し床面)が余りにも有名なため、その影に隠れてしまい、取り上げられることが少ないですが、ガラスとスティールの処理でもライトは新しい試みをし、見事成功しています。
ガラスとスティール言えば、3大建築家の他の2人、ル・コルビジュエ、ミース・ファンデル・ローエの得意とするところですが、2人の代表作、コルビジュエのサヴォア邸が1931年、ミースのファンズワース邸が1950年ですから、この落水荘はサヴォア邸の5年後、ファンズワース邸の14年前ということになります。

コーナー部にフレームがない大胆なデザイン。 70年前のデザインとはとても思えない。

コーナー部にフレームがない大胆なデザイン。 70年前のデザインとはとても思えない。

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私はこれらの3つの建築に実際に訪れた経験がなく、写真でしか見たことがないので迂闊なことは言えませんが、同じ住宅と言う題材と材料を使っても、デザインセンスはライトに軍配が上がる様な気がします。
その基になっているのは帝国ホテルでピークを迎えるライトの夥しいディテールデザインの蓄積であると思います。 画家で言えば、ピカソが少年時代から青年時代にかけ緻密な写実絵画でデッサン力を磨き、後にキュビズム絵画を完成させる基礎になったことと同じ意味合いがあるのではと思われます。
ライトに比べ他の2人は腕の動かし方がはるかに少なかったのでしょう。経験の積み重ねが違うような気がします。 帝国ホテル以降はライトにとって不遇の時代が続きます。カリフォルニアに幾つもの新感覚の住宅を造っていますが、何かを求め格闘していた時代であったようです。
その苦しみから一気に抜け出てライト建築を完成させたのがこの落水荘であったのです。
丁度ピカソにとって「アビニョンの娘たち」がそれであったと同じ様に。

筆者:株式会社TNコーポレーション 顧問 横井由和